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大阪地方裁判所 昭和48年(ワ)1804号 判決 1978年9月27日

原告

栗山一成

右訴訟代理人

三瀬顕

被告

大阪府

右代表者知事

黒田了一

右訴訟代理人

井上隆晴

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  申立

一  原告

1  被告は原告に対し、金三三、七七五、一六六円、及びこれに対する昭和四五年一一月一三日より右完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び右一項につき仮執行宣言。

二  被告

主文同旨の判決。

第二  主張

一  原告の請求原因

1  原告は昭和四五年一一月当時には、母栗山マイ経営の「スナツクニユー阪急」、「スタンド淡路はんきゆう」「スナツク舞子」のマスターとして右三店舗を実質上運営支配していたものである。原告は同月一二日午後一〇時三〇分頃から午後一一時ころまでの間に右「スナツクニユー阪急」店内に入つたところ、客の綾部鉄治が相当深酒をして酩酊しジヤツクナイフをちらつかせたり、左腕の入墨を見せたりして、同店内で飲食していた三、四人の客を威嚇してからんでいて、営業妨害が甚しいので、原告は退去を求めたが容易にこれに応じないので同人を淡路警察署に連れて行つた。

2  原告は淡路警察署において同署警備係長警部補安藤道久に対し、綾部を引渡し右1の事情を説明し同人の所持していたナイフを示して、同人について善処方を求めた。

3  ところが淡路警察署警察官は、綾部を逮捕、保護し又は知人等に引取につき手配し、あるいはナイフを領置、占有剥奪する措置をとることなく、同月一三日午前零時ころ綾部の身柄を放し右ナイフを所持したままで警察署から帰ることを許した。

4  綾部は警察に連行された報復、お礼参りとして、同日午前一時一〇分ころ、右「スタンド淡路はんきゆう」前において、原告に対し右ナイフでその左前胸部を、続いて左眼を刺し、原告に左前胸部刺創、皮下気腫、左眼眼瞼、鼻部切創、左眼角膜、強膜及び紅彩網膜刺傷、硝子体脱出等の傷害を与え、左眼失明、右眼視力低下(0.2)の後遺症を与えた。

5  警察官の右3の行為は公共の安全を防止し市民生活を保護すべき義務を怠つた違法な行為である。

警察官としては、綾部を威力業務妨害、銃砲刀剣類所持等取締法違反の現行犯として逮捕し、右ナイフを差押若しくは領置し、又は酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律三条により綾部の親族、知人その他関係者に通知して同人の引取方につき必要な手配をし、同法四条の違反者として右ナイフの占有を剥奪する等をして、綾部が公衆に危害を加えることを予防するべき義務があつたというべきである。

したがつて、右警察官らが綾部にナイフを携帯したまま帰ることを許したことには、右義務に違反した違法がある。

6  警察官らが右のとおり義務に違反して綾部にナイフを携帯したまま帰ることを許したため、原告は同人の直情的報復を受け右4のとおり受傷したものであるから、綾部の行為がその自由意思に基づくものであつたとしても、警察官の義務違反行為と原告の受傷との間には因果関係があるというべきである。

なお、原告、その兄などが「スタンド淡路はんきゆう」付近で綾部に対し殴る、蹴る等の暴行を与えたことは全くない。

7  原告は右受傷により次の損害を受けた。<省略>

8  よつて、原告は国家賠償法一条一項に基づき、被告に対し、原告が受けた損害の内金三三、七七五、一六六円、及びこれに対する受傷日の昭和四五年一一月一三日以降右完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する被告の認否<以下、省略>

理由

第一違法性

一請求原因一3のとおり、淡路警察署警察官が綾部にナイフ所持のまま帰ることを許したことは当事者間に争いがない。そこで右行為の違法性につき判断する。

二<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

1  綾部鉄治は、本籍佐賀県神崎郡千代田大字崎村無番地、昭和五年一月九日生れの男である。綾部には昭和二三年以降昭和四五年までの間に前科が二三犯(うち懲役刑一六犯)あり、そのうち一九犯は傷害、暴行、脅迫、強姦未遂、暴力行為等処罰に関する法律違反等のいわゆる粗暴犯によるものであり、最後の懲役刑は昭和四五年七月二八日に終了して佐世保刑務所を出所したものであつた。綾部は両眉及び左首より胸の付近に入墨をしていた。

2  綾部は佐世保刑務所出所後しばらくは故郷の佐賀県に居たが昭和四五年一一月一日大阪に来て同月二日より大阪市東淀川区下新庄町の南組飲場に居住し土工として働いていた。綾部は同月一二日午後五時ころ右飯場で夕食の際ウイスキーを約一合飲んだのち風呂に入り、午後八時頃より阪急淡路駅付近でビールを七、八本飲んだが、なお飲み足りない気持がして同日午後一〇時過ぎころ同区淡路本町二丁目四一〇番地「バー舞子」(原告の母の栗山マイ経営)に入つた。

3  綾部は右飯場を出る時から、腹巻きの中にナイフ一本を携帯していた。しかし綾部がこのように夜間外出する際にこれを携帯していたのは、果物の皮をむいたり繩を切つたりする目的や必要が具体的にあつたためではなかつた。右ナイフは本来折たたみ式の飛出しナイフであるが、飛出し装置が故障しているため、手で刃を引き出さねばならなかつた。開いた刃を固定させる装置はあつた。その刃体の長さは7.5センチメートルで、刃は研いであり鋭利であつた。以下右ナイフを本件ナイフという。

4  綾部は「バー舞子」に入ると腹巻きより本件ナイフを出して刃を開きそれを持つて店の中をうろうろと歩きまわつた。そのため店の客の中には恐がつて店から退出した者も居た。店員の誰かが「早く一一〇番せよ」と叫び、バーテン滝敏は綾部を店から連れ出した。綾部は路上で滝に対し本件ナイフを出して、「殺してやる」と脅した。

5  滝は綾部を「バー舞子」の西隣にある「スタンド淡路はんきゆう」(栗山マイ経営)に連れて行き、スタンドに座らせた。綾部はビール約三本を飲んだが、この間に他の客や店員に対し「馬鹿野郎」とか、「刺されたいか」とか怒鳴り刃の開いた本件ナイフを取出して見せたりした。また綾部は受取つた釣銭を滝に投げつけたりした。それで、滝は客に迷惑が及ぶと考えそこに居た三人の客を隣りの「バー舞子」に連れて行つた。

6  綾部が右のような行動をするので、「スタンド淡路はんきゆう」の支配人の原告とバーテンの滝とは綾部を警察に連れて行くこととし、綾部の両腕を取つて、同日午後一一時五分ころ約一五〇メートル離れた大阪府淡路警察署に連れて行つた。

7  原告及び滝は淡路警察署において当直の警察官である安藤道久及び瀬戸田一史に対し、綾部を引渡し、綾部が「スタンド淡路はんきゆう」などで本件ナイフを出して客を脅したので危いから連れて来た旨を告げた。

3 右警察官らは綾部に対し、本籍、氏名、住所を問い所持品を全て見せるように求め、身体検査をした。綾部の供述及び提出された所持品中の溶接工講習済証明書によつて、綾部の本籍、住所、氏名、年令が右1、3に記載のとおりであること、同人が故郷の佐賀県より最近に大阪に出て来たことを確認した。

9  右警察官らは大阪府警察本部に対し綾部の前科及び指名手配の有無を照会したころ、いずれもない旨の回答があつた。大阪府警察本部では、本籍、犯行場所、言渡裁判所が大阪府外である前科は登録されていないため、右1の前科は発見されなかつた。また警察官は綾部に前科の有無を尋ねることはしなかつた。

10  右警察官らは綾部に所持していた本件ナイフを提出させ、その性能、形態が右3認定のとおりであることを確認した。綾部にナイフの所持目的を質問したところ、同人は果物が好きなので果物の皮をむくために持つている旨答えたが、警察官は当夜の携帯の目的につき更に追求することはしなかつた。(なお14の事実参照)

11  右警察官らは綾部に対し「スタンド淡路はんきゆう」での行動について質問した。同人は本件ナイフを出したことを認めたものの、刃は開かずにカウンターの上に置いただけである旨答えたが、その供述態度は反抗的であつて必ずしも信用できるものではなかつた。警察官らは右店における綾部の具体的行動について原告や滝に確認することはしなかつた。

12  綾部は右のとおり午後八時以降一〇本以上のビールを飲んだので、淡路警察署においても相当酩酊していた。このため綾部はこの夜の行動を明確に記憶していない程であつた。綾部は右警察官らに酒が好きである旨述べた。

13  右警察官らは、綾部の入墨のうち眉及び首の部分にあるものは見ることができた。

14  右警察官は酒を飲んだ者が深夜に腹巻にナイフを持つて外出することは異常とは思つたが、綾部の行為は犯罪を構成せず、綾部を逮捕、保護又は引取り手配をし、ナイフを領置、保管したりする必要はないと考えて、それ以上の措置を取ることなく、綾部に本件ナイフを持たせたまま、帰宅して良い旨を告げて帰らせた。

<証拠判断略>

三本件において綾部の前記二4、5の行為は、銃砲刀剣類所持等取締法二二条、三二条二号の罪及び脅迫罪に該当する。綾部の飯場よりの外出時におけるナイフ携帯の目的が何であつたとしても、本件ナイフを取出して「殺してやる」「刺されたいか」等と怒鳴つて脅した時点においては、本件ナイフの携帯について正当の事由がないことは明らかである。

警察官としては綾部が右の通り罪を犯していることを容易に知ることができた筈である。前記認定のとおり、原告及び滝は、綾部がナイフを出して客を脅したので連れて来た旨を警察官に告げていること、綾部の供述は反抗的で必ずしも信用できるものではなかつたこと、<証拠>により認められる警察官は綾部の原告刺傷についての捜査において、滝、綾部に供述を求めることにより前記二4、5の事実を明らかにしている事実よりすると、綾部が昭和四五年一一月一二日午後一一時ごろ淡路警察署に居た間であつても、警察官はそこに居た原告、滝に更に具体的な事実の説明を求め、あるいは綾部を追求することにより右犯罪事実を明らかにすることができた筈である。証人安藤道久の証言中には、安藤が原告に対して、綾部が人を傷つけたり、物に損害を与えたり無銭飲食をしたことはないか、ナイフを出して被害があつたかを尋ねたところ、原告は被害はない旨答えたとの部分がある。この証言をそのまま信用できるかはともかくとして、この質問は銃砲刀剣類所持等取締法二二条、三二条二号の罪、脅迫罪の調査としては無意味、不充分な質問と言う外はなく、警察官らが綾部の行為が何の罪にも該当しないと判断したことにつき合理的な理由があつたと言うことはできない。

次に、警察官らは大阪府警察本部への照会により綾部の前科を発見することはできなかつたのであるが、大阪府警察本部では他府県での前科は登録されていないこと、綾部の本籍、前居住地は佐賀県であること、綾部は入墨をし、警察署に来る直前にナイフを用いて罪を犯しているのであるから、綾部について前科がないとは言い切れない状態であつたと言うべきである。

四警察官らが綾部より本件ナイフの占有を剥奪する方法として、銃砲刀剣類所持等取締法二四条の二第二項の一時保管の措置をとることができたかにつきまず判断する。

綾部の携帯していた本件ナイフは前記認定の通り刃体の長さ7.5センメートルの折たたみ式のナイフで開刃した刃体をさやに固定させる装置を有したものであるから、同法二二条に規定する刃物であることは明らかである。

前記認定のとおり、入墨をした男の綾部は飲酒、酩酊し、深夜に具体的に必要もない鋭利なナイフを腹巻きの中に携帯しており、同人は警察官に連れて来られる直前にこのナイフを出して「殺してやる」等と言つて他人を脅したものである。傷害、暴行、脅迫等の粗暴犯罪はその者の性格に由来し同一人によつて反復して犯されることが多いこと、入墨をした者に粗暴犯常習者が少なくないこと、飲酒、酩酊者が粗暴な行為に至ることが多いことは当裁判所に顕著であつて、このことは警察官ならば当然知つていたものと認められる。そのうえ、綾部には前科がないとは断定できない状態であつたことも先に判断したとおりである。このような事情の下においては、綾部が「周囲の事情から合理的に判断して他人の生命又は身体に危害を及ぼすおそれがあると認められる場合」であつたと言うべきである。

そして、警察官が綾部を身許引受人に引取らせる等の措置を取らない以上、前記認定事実によれば、右の危害を防止するために本件ナイフを一時保管する必要もあつたと言うべきである。

そうすると、淡路警察署警察官としては、同法二四条の二第二項により綾部の携帯していた本件ナイフを提出させ、一時保管することができたものである。

五次に淡路警察署警察官としては同法二四条の二第二項の一時保管をすべき義務があつたか、これをしなかつたことが原告に対する違法行為となるのかについて判断する。

同法二四条の二第二項の一時保管の規定は、警察官に極限を付与した規定であつて、この権限を行使するかどうかは警察官の第一次的判断に委ねられているということができる。

しかし、国民の安全を維持することは近代国家の成立以来最も基本的な国の責務とされて来たところであり、現行警察法も、警察は個人の生命、身体の保護に任じ、犯罪の予防、捜査その他公共の安全と秩序の維持に当ることをその責務とすると規定しているのである。特に、銃砲刀剣類等については、我国は一部の外国とは異なり、護身、防禦の目的であつても一般国民がけん銃、小銃のみならず、刀、飛出しナイフまでも所持携帯することを刑事罰をもつて厳禁し、実際の運用においてもこの違反に対し厳しい刑事罰が科されているのである。そして、善良な国民はこのような法とその運用に対して圧倒的な支持を与え、護身のためであつても銃砲刀剣類等を所持しようとせず、銃砲刀剣類等による攻撃から身を護ることを国(警察)に委ねているのである。このような法制と運用を考慮すると、前記認定の事情の下においては、淡路警察署警察官は本件ナイフを一時保管すべき義務があつたというべきであり、これを怠り本件ナイフを携帯したまま綾部に帰ることを許した行為は原告に対する関係でも違法と言わねばならない。

第二因果関係

一綾部が昭和四五年一一月一三日午前一時一〇分ころ原告に対し本件ナイフで傷害を与えたことは当事者間に争いがない。そこで、右第一に判断の警察官の義務違反と右傷害との間の因果関係について判断する。

二<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

1  綾部は昭和四五年一一月一三日午前零時ころ淡路警察署を出たが、歩いているうち先程の「スタンド淡路はんきゆう」があつたので、再びここに入りビールを飲み始めた。

2  綾部はビールを飲みながら、原告や店員の佐々木カノに対し、警察署に連れて行かれたことについて不平を言つていた。

3  これをカウンター内部で聞いていた後藤丹後之介(原告の兄)は、綾部の胸倉を掴んで店より付近の路上に連れ出し、ほか二、三名の者(この中に原告が含まれていたかどうかは明らかでない)と共同して、こもごも綾部を手拳で殴打し、足蹴りする等をして同人の顔面に傷害を与えて出血をさせた。

4  綾部は同日午前〇時四〇分ころ顔面から出血したまま「スタンド淡路はんきゆう」に戻り、ビールを飲みながら、右の通り暴行を受けたことを腹立たしく思い「俺は今日は誰か刺したる」等と一人つぶやき本件ナイフを取出したりした。

5  原告は同日午前一時ころ店に居た綾部及び合田滋見に対し店を閉めるので出て欲しい旨を告げた。綾部は幾分残つていたビールを残念に思いながらも、合田に次いで席を立つた。

6  綾部は、右3のとおり暴行を受けたことを腹立たしく思つていたので酒の勢いも手伝い、同日午前一時過ぎころ、右店内において、原告に対し、本件ナイフでその胸及び左眼を刺して傷害を与えた。

7  綾部はこの直後本件ナイフを取上げられて、原告に本件ナイフで左臀部、大腿部を刺され、後藤丹後之介らに頭部、背部などを足蹴りされて、治療一〇日間以上を要する刺創、切創を受けた。

<証拠判断略>

三右認定のとおり、綾部は原告の店に居た後藤丹後之介らに暴行を受けたことを腹立たしく思つていたので酒の勢いも手伝い原告に傷害を与えたものであつて、綾部の受けた暴行と与えた傷害との時間的近接をも考えると、本件全証拠によつても綾部が後藤丹後之介らより暴行を受けなかつたとしても原告に前記のような傷害を与えたであろうことは認めることができず、綾部が右のように暴行を受けるであろうことを警察官において事前に予測できたものとも認めることができない。

そうすると、前記第一に判断の警察官らの義務違反行為と原告の受けた傷害の間には、法律上の因果関係はないと言うべきである。

第三結論

よつて、原告の受傷から生じた損害の賠償を求める本件の請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文の通り判決する。

(石川恭 井関正裕 西尾進)

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